今日の一言:人間万事塞翁が馬

読んでおくべき本。内村鑑三「代表的日本人」

 ぶっちゃけ読んでません。すみません。でも内容は知っています。なぜなのか・・・それはオーディオブックです。最近、何年かぶりにオーディオブックで「代表的日本人」を聴きましたが、得るものがやはりある。まいど、この本の内容を聴くたびに本当にその通りだと思う。道徳の授業とかがあればこの本を読むだけで不要になるかもしれません。そのくらいおススメの本です。

代表的日本人

本書で紹介されているのは以下の方々だ。

・西郷隆盛・・・幕末から明治前期の日本の武士、政治家、陸軍軍人

・上杉鷹山・・・江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主

・二宮尊徳・・・江戸時代後期の経世家、農政家、思想家

・中江藤樹・・・近江国出身の江戸時代初期の陽明学者

・日蓮  ・・・鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗の宗祖

個人的な見解ですが、

西郷隆盛 = 上杉鷹山 = 二宮尊徳 = 中江藤樹 > 日蓮

となります。特に当時(2015年)、中江藤樹は知らなかったのでいろいろと発見がありました。今回、改めて聴いてみると本当にいい事言っているなと思う。感想は数年前と変わらず色褪せていない。私が成長していないのか・・・根っこにある信念は今も変わっていないのか・・・芯がぶれていないのか・・・わかりませんが、自分の根底にある芯がぶれていないと信じたい。私の根っこはここにある。

株式投資にも通ずることがあるかな?

 獲たいなら与えよ。実りを獲たいなら種をまかないといけない。種まきをケチって実りを期待するのは愚か者のすること。

二宮尊徳と中江藤樹の教えが投資の世界でも言えるのではないかと思ったりします。また二人の考えが大好きでもあったりします。もちろん、全肯定するつもりはありませんが、この世で大切にしないといけないことは孝である。とりわけ両親に対する孝が全てに勝る。儒教の教えかな。両親に感謝というのは毒親の場合は除くけれど、その通りだと思います。私も両親に感謝です。お金は無いけれど健康な体は何よりの資産です。こちらが孝を尽くそうと思っていますので何より親の資産はあてにしてません。

 竹田和平の本も読んだりしたけれど、この辺りの人に通ずるものは目先のテクニックではなく、徳が大事だと。徳が無い卑しいお金儲けはお金のほうから逃げていくとか云々・・・宗教めいているけれど、これは何となく一理あるような気がします。お金に好かれるお金の稼ぎ方をしないとお金が逃げていく。スマートに正しくお金を扱わないと・・・もちろんマーケットの魔術師やら読んでその内容にも感銘を受けているのですが、やはり徳が大切なのだと思います。

二宮尊徳 読みは損得だけれど、名前の通り徳を尊ぶという正に名は体を表すを地で行くような方でした。小学校の銅像なるのは、寝る間も惜しんで勉強してただけではないと感じました。

以下、代表的日本人から一部抜粋。

 可能というのは自然でかつ唯一可能な道を採用してそれに従えばということです。不可能というのは人というものは概してそのような道に従うのを嫌うからです。運河が掘られる地域には風紀の乱れが見られます。まずは仁術をもってそれを正さねばなりません。その下準備なしにこの事業を始めることはできません。乱れたために金を使えば良くない影響を与えることにしかならず、ましてや仕事の進捗など望むべくもないのです。今後検討中の干拓事業の性格を見てみるに金銭や権力の力に多くを望むことはできません。感謝の心によって人々が一丸となって初めて成し得るでしょう。従いましてお上におかれましては仁術を人々の上に施して、かつ。孤児を保護し、今の堕落した民を徳高きものに変えていただかなければなりません。一旦民の誠意を引き出しさえすれば山を穿ち岩を砕くことは思いのままとなりましょう。回り道のように見えるかもしれませんが、これがおうおうにして、最も効果的な道なのです。草木の根の中には花が開き実がなる元が全て含まれているではありませんか。まず道徳がありその後に工事があるので、前後を誤ってはいけません。今日の読者はこんな雲をつかむような提案を受け入れなかった幕府の方に共感を覚えるかもしれない。しかし、パナマ運河の建設を巡って、贈収賄が行われたパナマ運河疑獄事件を知る人ならその巨大事業の失敗の主な原因が道徳的なもので財政的なものではなかったことがわかるはずだ・・・

  現代に生きる私たちは他の人間に影響を及ぼすために太鼓を打ちラッパを吹き鳴らし新聞に宣伝を売っているが人に影響を与えるということの真髄を中江藤樹から学んだ方が良い。バラが自分の香りに気づいていないように中江藤樹は自分の影響力に気づいていなかった。そんな中江藤樹のようなひっそりとした人生を生きることができないのだとしたら生涯かけて文章を書き教えよう時大声を上げ身振り手振りで示したとしても後に残せるのは畳一畳分の墓が関の山だろうこの国にはいたるところに成人がいる中江藤樹は言う他に深い所にもいれば山の鍵にも入る自ら姿を見せようとしないから誰も気づかないだけだ。こうした人たちこそが本物の聖人であり名が鳴り響いているものなど何ほどでもない。幸か不幸かその願いとは反対に当時の名は世に鳴り響いてしまったがそのおかげで私たちは高い志を持って生きればひっそりとした人生であっても大きな影響力を持てることを知ることができた中江藤樹のような聖人たちこそ他に深い学校であらゆる俗悪たから古い日本を守った人達だった現代の教育制度は徳とか昔の偉人についてざっと触れて享受してはいるがそのやり方で世の中にはびこっている俗悪を抑えることができるかどうかは知る由もない。どこかで叫ぶ声がする。耳が全部頭に残ってしまって手足には家がない遠からずの途中で死んでしまう確かにそうなるだろうもしこの国にたくさんの中江藤樹が現れなければ・・・

いまの、政治家に学んでほしい。バラマキだけではこの世の中は良くならない。本当に助けを必要としている国民を助けてこその政治です。票とりのためのバラマキは止めて欲しい。政治家はこの二人から学んでほしい。